亡くなった方のお棺が家を離れる時、見送る人は、それまでお供えしてあったお仏飯の茶碗を玄関で割るという儀式が、一昔前まではありました。
お葬式を自宅ではなく、斎場ですることが多くなった現代では、ほとんど見かけなくなった光景ですが、私が若かった頃には、それは、お葬式の大事な儀式の一つだったのです。その頃、私は、「もったいない事をするなあ。なんで、まだ使えるお茶碗を、わざわざ割るんだろう」と思ったものでした。
そんな時、その疑問に答えてくれたのは檀家のお爺さんでした。
「若上人、あんたの疑問は、よう分かります。でも、死んだ人には、迷わず仏さまの世界に往ってもらわねばなりません。だから、戻って来ても、あんたの飯を食う茶碗は、もうありませんよと教えるためにこの儀式はあるんですよ」と教えてくれたのでした。
それを聞いた私は、「なるほど、そんな意味があったのか」と納得したのですが、人によっては、今でも、これを、「けしからん風習だ」と非難する人もいます。
ところで、この茶碗割りと同じように、出棺の時、お棺をぐるぐると回すという儀式もあったということをご存知でしょうか。私は、この目で、そんな場面にであったことはありませんが、地方では、まだそんな風習も残っているようです。これも、亡くなった人がこの世に舞い戻らないよう帰り道を分からなくするための儀式なのだそうですが、つい先日、ネットでこんな出来事があったという話を知ったのです。
ある村でのこと。何年も寝たきりだったお爺さんが亡くなり、お葬式が営まれ、いよいよ出棺という時、風習にならい、お棺のぐるぐる回しが始まりました。ところが勢い余って、回している方が眼を回し、あろうことかお棺が庭の松の木にぶつかったというのです。そして偶然なのでしょうか、その衝動で、お棺の中から、「ウーン」という声がして、死んだはずのお爺さんが生き返ったのでした。
その時、家族の人たちが喜んだ否かは、ネットには出ていませんでしたが、驚いたのは事実でしょう。でも生き返ったといっても寝たきりだったお爺さんです。その十日後には、本当の臨終を終えました。
その時、お婆さんが、お棺を回してくれる人たちに言ったそうです。「今度こそ、うちの爺さまが迷わずお浄土に往けるように、ちゃんと回して下さいね」と。
この話が本当かウソか、私には分かりません。でも、迷わず成仏してほしいというのは、残された遺族の願いであることに間違いはないでしょう。