お笑いのルーツといえば、なんといっても関西、それも大阪でしょう。東京を中心とした関東の文化圏に比べ、そこには、たとえ貧しくても、それを笑いでぶっ飛ばす庶民のバイタリティを感じます。そんな元気の元となる笑いの研究を三十年もの長きに渡って研究した学者がいるので、ご紹介しましょう。
その人の名は、木村洋二。関西大学の教授です。木村先生が笑いに興味を持ったのは、若い時のこと。当時の先生は大学の助手を務めていました。助手というのは、大学では、まだまだ駆け出しの立場。当然のことながら、安い給料しか貰えません。そこで仲間と語らって裏山に登り、きのこを取ろうということになりました。
お陰で、その日は大収穫。若い研究者たちは、早速、鍋の支度をして宴会を始めたのですが、その中にワライダケと呼ばれる毒きのこが混ざっていたのでしょう。先生たちは、突然、興奮状態になり、みんなが三時間もの間笑い転げ、その場はとんでもない修羅場となってしまったそうです。
ただ幸いだったのは、その発作が三時間で治まったこと。「死ぬほど可笑しい」という言葉がありますが、先生は、「可笑しくもないのに笑う苦しみを、とことん味わわされた」と語っています。
ところが、その時、「苦しいからこそ、人は笑いを求めるのではないだろうか」とも考えたというのですから、さすがは学者先生。それからは、笑いの肉体的な反応となる横隔膜の動きに着目し、「笑い測定器」なるものを発明するようになるのです。この測定器は、人間のお腹に電極板を取り付け、笑うことによって生ずる横隔膜の振動数を記録することによって、笑いのレベルを測定するのだとか。その測定の単位は、「aH」と書いて、「アッハ」というのだそうです。
因みに、アッハのレベルが、一秒間に5になれば、それは大笑いしている状態だと判定されます。しかし、口先だけのお愛想とか皮肉な笑いは、この測定器には反応しないといいます。この話を聞いて、先生は、笑いの中にも、愉快な笑いと、そうでない笑いがあることを追求しようとなさっているんだなと思ったものです。毒きのこの異常な反応は別としても、人は辛いことや苦しいことが多いからこそ、お腹をかかえて笑えるような心の開放を求めているのでしょう。
木村先生は2009年4月、末期ガンの宣告を受けました。
「この病を笑いで克服してみせる」とお見舞いに訪れる人々に語っていたという先生。残念なことに、先生は、8月に、この世に別れを告げられました。先生が亡くなられた後に、関西大学にはユーモア科学研究センターが開設されました。先生はきっとあの世から、ずっとアッハ・レベル5の電波を、この世に送り続けていると私は信じたいのです。