海外に赴任している日本人の夫婦が体験し、考えさせられたという話です。

 ある日のこと、この夫婦は我が子の誕生日に現地の子供たちを招き、お食事会を開くことにしました。奥さんの手料理を、どの子も「美味しい、美味しい」と喜んで食べてくれました。

 さて、その後に出したのは、食後のコーヒーでした。「どうぞお上がりなさい」といっても、誰ひとり、カップに手をつけようとはしないのです。

 「コーヒーが嫌いなの?」と尋ねると、「ううん」と首を横にに振ります。「じゃあ、どうしてなの?」というと、「ママが、コーヒーは、まだ子供の飲むものじゃないというから」と答えました。そんな考え方を持っている親御さんは、日本人の中にも沢山います。だから、そこで、「そうなの」と引っ込めば良かったのですが、この奥さん、つい、「でも、今日はママが見ていないのだから、試しにコーヒーを飲んでみたら」といってしまったのです。

 その時、一人の男の子が、「たとえママが見ていなくても、神様が、ちゃんと見ていらっしゃいます」といい、どの子も一様に首を縦に振ったのでした。

 「あの時は、本当にびっくりしましたわ」と思い出を語る奥さん。「神さまって、親よりも、ずっと大きな存在なのですね」と話していました 。

 この奥さんもご主人も典型的な現代っ子です。物質的に繁栄した戦後の日本の教育の中で育った人たちなのです。戦後の日本人の教育の中に、神さまとか、仏さまとかいう意識が薄くなってしまっているのは、どなたも感じていることではないでしょうか。その日本人から失われているような意識を、海外にいる子供たちが呼び戻してくれたと奥さんは語るのです。

 私は、この話を読んで、この夫婦、それに子供さんはいい体験をしたなと思いました。今の日本人が常識だと思っていることは、決して世界の常識ではありません。世界の人々は、私たち日本人よりもっともっと神さまや仏さまが暮らしの中に生きているのです。

 この子供たちの心の中に、お父さんやお母さんより、もっと偉い神さまがいるということは素晴らしいことだとは思いませんか。

 西洋の諺には「宗教なき教育は、賢い鬼をつくる」という言葉があると聞いたことがあります。ひょっとしたら、宗教をないがしろにした戦後の日本の教育は、ずる賢い鬼の子を作り出してきたのかも知れません。

 教育問題が、いろんな行きづまりを見せている現代です。もう一度、宗教心の大切さを考え直すべき時が来ているのではないでしょうか。