もと明星学園の教頭まで勤められた無着成恭先生が、昨年7月に亡くなられました。先生は、禅宗のお坊さんでありながら教育者としても子ども教育に人生を捧げられました。先生が千葉のお寺のご住職になられた時の話です。若い時に教育に情熱を燃やし、故郷のお寺を飛び出した先生が、晩年になって、又、お寺に戻ってこられたのは、面白い因縁だなと思います。
さて、先生の入ることになったお寺は、明治以来、名義上の住職はいたとしても、実際にはほとんど誰も住んでいない無住のお寺。本堂があるにはあったけど、とても住めるような代物ではありませんでした。でもそこは、陽気な無着先生「あっ、これなら自分で思い通りのお寺にできる」と思ったそうです。そこで半年がかりの大工事、先生夫婦は、境内にある公民館に寝泊まりして、お寺の再建にとりかかりました。そしてそんな苦労の中から、先生は新しい喜びを発見したのです。それは秋からお正月にかけてのこと、大工さんがやってくる朝の7時。まずたき火をして体をあたためて仕事にかかります。ところが、誰がしてくれるのか、いつもその前に枯れ枝を組み合わせ、杉の枯れ葉をかけ、一番下に新聞紙が丸めてあり、マッチ1本で火が付くように準備してあるのです。その功徳の主がわかったのは、かなり日が経ってからでした。お恒さんというお婆さんが、まだあたりが暗い5時ごろ、その準備をしてくれていたのです。「ありがとう」と先生が声をかけたら、お恒婆さん「あっ、見つかってしもうた」と照れ臭そうに笑いました。そして、自分の子どもたちも大きくなって遠くはアメリカやよその土地に暮らしているが、どこのどなたにお世話になっているか分からないから、自分はそのお礼に、自分のできることをさせていただいているのだと話したのです。先生は感激しました。そして、そのお寺に住むようになってからは、お貞さんというお婆さんも、毎日欠かさずお寺の掃除に来てくれるようになりました。「この村には、すごいお婆ちゃんたちがいるな。この破れ寺にやってきてよかった」先生は、お坊さんになって、子どもの教育から人間の本当の教育へとその目が開いてきました。このお婆ちゃんたちは、仏さまを敬い、仏さまの教えを信じ、仏さまの教えを守る人を愛してくれる。そして悪いことをしないように、良いことをしようと心がけ、人が喜んでくれることを自分の喜びとしている人たちだと感じました。こんな人には、仏さまのお弟子としての素晴らしいお戒名を生きているうちにつけてあげたい、先生は今そう思っているのだそうです。