来年十七回忌を迎える父が元気だった時のお話です。ある日の晩ご飯の時でした。父が突然、こんな事を口にしたのです。「わしも八十の年を越した。そろそろ形見分けの準備をしなけりゃなあ」と。「それは、その通り。親爺が、そのケジメをつけてくれていれば、長男の俺は悩まなくて済む」と、口には出さなかったものの、私は心の中で、父の言葉にエールを送りました。ところが、父は、私が考えていなかったようなことを言ったのです。「出来ればだがな、わしの法衣は、お前に是非とも着てほしい。今まで大切に使ってきたものだから」と。この言葉に、家族みんながドッと笑いました。なぜなら、父は私よりも体が小さく、そのまま私がその法衣を着れば、チンチクリンな姿になるのが分かっていたからです。「やっぱり無理かなあ」と父は寂しそうでした。だから私は「お父さん、心配しないでも仕立て直せば使えるものは沢山あるよ」といったものでした。
それというのは、最近、うちの檀家さんで、こんなお葬式の体験をしたからです。亡くなったのは1人暮らしのお爺さんでした。身寄りもないだろうというので、大家さんが中心となってアパートの人みんなでお葬式を出すことになったのです。そこへ、突然お爺さんの一人息子が帰って来ました。
「よかった、よかった。やっぱり他人よりも肉親が一番だ」と喜んだアパートの人たち。その人たちに息子さんは「みなさん、お世話になりました」とお礼の言葉を述べました。しかし、その後の言葉がみんなを唖然とさせたのです。「後は遺品処理業者にまかせていますのでご安心下さい。すべて業者が処理してくれますから」という言葉だったからです。その言葉どおり、お爺さんが住んでいた部屋の家財道具も布団もそしてお仏壇も、息子さんに委託された業者が、まるでゴミを処理するかのように片付けてしまいました。
隣の部屋にいたお婆さんがいいました。「これじゃあ思い出まで捨てられたような気がします」と。お骨とお位牌だけを持って、さっさと東京に帰ってしまった息子さんの態度に、アパートの人たちは、この世の無常を感じたといいます。今の世の中は、人情までも金の力で吹き飛ばしてしまうのでしょうか。
「人の振りみて我が振り直せ」という言葉があります。この出来事を思い出しながら、私は、父の心の中にある思いを大切にしなければと思ったのでした。十七年前に亡くなった父の法衣を、約束通り仕立て直して大切に使っていることは言うまでもありません。