近頃よく話題になるのは〈介護〉という言葉です。高齢化社会という深刻な問題を抱え、とても無関心ではおれないのでしょう。この私も介護保険料をちゃんと納めています。ところが私には、この言葉の意味がよく分かりません。手近かにある小さな国語辞典で調べてみましたが、載っていません。発行年月日をみると、昭和58年、もう40年ほど昔の本です。その頃には〈介護〉という言葉は使われていなかったのでしょうか。それならばと、今度は最近に発行された大きな辞書を開いてみました。すると〈介護〉という項はあったのですが、「病人などを介抱したり、看護すること」という簡単な説明がしてあるだけでした。それを見て私は、「そうだ、昔は介護ではなく、看護という言葉を使っていたんだ」と思いだし、〈看護〉という言葉を調べ直してみたのです。なんと、こちらの方には、介護よりも十倍近い説明文があり、その説明の中で私は面白い発見をしました。

 

 そこには、こんな事が書いてあったのです。「看護に類する言葉として、介抱と介護があるが、介抱とは一時的に相手の世話をするような場合をいい、介護は一般的に病院以外での介抱や看護についていうことが多い」というなんとも意味ありげな解説でした。

 

 そういえば政府は、病院に預け放しになっているお年寄りをなんとか減らそうとして、在宅介護ということを盛んにアピールしたような気がします。老人医療の国庫負担が大きくなっているのも深刻な問題でしょうが、老老介護といわれるように、お年寄りがお年寄りの面倒を見なければならないような問題も起こっているのです。

 

 実は、先日、私の中学校時代のクラス会があり、60年ぶりに懐かしい顔合わせがありました。その時、誰かが「あと25年後は、みんな100歳だな」と発言して、誰もがゾーっとしたように顔を見合わせたのです。その時、私の横に座っていた女性が、「みんな、なんて顔するの。うちのお母さんなんて、もうすぐ100歳。おしめもしているし、ちょっとボケてもいるけど、仏さんがお迎えに来るまで死なれんと言っているわ。そして介護なんて好かん。看護の方がいい。見守ってくれる看護だけでいいんじゃと毎日手を合わせるのよ」といって私の方を向いて微笑んだのです。

 

 それは彼女が私をお坊さんだと知っているからでしょう。私は「人は縁によって生まれ縁によって滅す」という仏さまの言葉を噛みしめたのでした。