今年、私は76歳になります。誰もが老いると知りながらも、さすがにその年を迎えると、いろんなことが気になります。いい事はともかく、なにか嫌な事があると、やっぱり年かなと消極的な考え方になるのです。その時は、私も「どうぞ、この1年、無事に過ごせますようお守り下さい」と、本堂で一生懸命お願いしてしまいます。

 

 いくら高齢社会といっても70歳を越すと体力も落ちます。頭の毛も薄くなりました。でも気力だけは充実させたいと思っていた時、ふと目についたのが、新聞に載っていた「空飛ぶ馬」という童話でした。なんでもユダヤに伝わる古い話だということですが、ちょっと面白い話です。

 

 昔々、ある国に1人の男がいて、ある日、とんでもない失敗をしてしまいました。王様はカンカンに怒って、男を捕まえると「お前は即刻、死刑だ」といったのです。その時、男は「王様、もし私が王様の可愛がっている馬を空飛ぶ馬にすることができたら、許してもらえますか」と尋ねました。珍しいことの好きな王様は、これを聞いて「それなら死刑を1年だけ待ってやろう」ということになりました。男は大喜びです。でも周りのみんなは言いました。「なんて馬鹿なことをいうんだ。馬を空に飛ばせるなんて、それにたった1年でなにができる」すると男は答えたのです。「いや1年というのは大切なものだぞ。ひょっとしたら、この365日のうちに、王様がポックリいくかもしれないし、俺だって何が起こるか分からない。確かなのは、俺が死なないで、今、生きているということだ。失敗なんかにクヨクヨしていられるか。とにかく一生懸命やれば、まさかがまさかでなくなるかもしれない。馬だって空を飛ぶかもしれんぞ」こういって、その場を立ち去ったというこの男。

 

 話には馬が空を飛んだかどうかという結末は書いてありませんでした。でもこの話を読んだ私の心の中では、何かが天に向かって飛び立とうとしたのです。そうだ、人生どんな時にも積極的に立ち向かうことだ。そう思った私の頭に「神の護ると申すは、人の心つよきによるとみえて候」という日蓮聖人のお言葉が浮かびました。何もせず、ただ漫然と年をとることを、馬齢を重ねるといいます。それでは人生下り坂。この辺でパワーアップ、馬力を出して、神仏が守ってやろうと思って下さるようにしよう。そうすれば人生いつも上り坂だと思ったのでした。