昔、大変ケチな男がいました。驚くことに自分の母親にお米を分けてやるのでさえお金を要求するという有様でした。ある日、男はたまったお金の代金を要求しました。しかし母親には払うお金がありません。「さあ、早く代金を払ってくれ、払わなければこの家を追い出すぞ」「お願いだから少し待っておくれ、きっと払うから」。母親は土下座して頼むのですが、息子はいっこうに聞き入れようとしません。母親は非常な息子を前に、しばらく泣き崩れていましたが、やがてハッとしたように着物の襟をはだけ乳房を出して言ったのです。「聞くがいい、私はお前を育てるために昼も夜も休む暇とてなかった。乳をのませ、オムツを換え、風邪をひかぬように気づかってきた。お前の大きくなる日を楽しみにして、朝夕仏さまに良い子に育ちますようにとお祈りしたものだ。それなのにこんな非情な子どもに育ってしまって、私からお米の代金を要求して、私をこんなに苦しめる。それなら私も言わせてもらいたい。お前にのませたこの乳の代金を払っておくれ。お前が親を親と思わない以上、私にはこれ以上残された道はない」そう言って泣き崩れました。必死に訴える母親の声をじっと聞いていた息子は突然ボロボロと涙をこぼして「お袋、すまなかった」と抱きついたのです。

 

 その時、男は幼い頃、頼りにしていたのはこの母親の胸の中であったと思い知らされました。

 

 父母恩重経というお経の中にこんな一節があります。「母の懐を寝床となし、母の膝を遊び場となし、母の乳を食物となし、母の情けを命となす。母寒さに苦しむ時も、着たるを脱ぎて子に被らす。母にあらざれば養われず。母にあらざれば育たず」このお経の中には母親の子どもに対する思いやりが切々と説かれています。日蓮聖人もお手紙の中に「親は十人子を養えども、子は一人の母を養うことなし、あたたかなる夫をば抱きて臥せども、こごえたる母の足をあたたむる女房はなし」と仰言っておられます。親の恩に気づかない子の立場は、今も昔も変わらないようです。それが故に仏さまは親への恩返しこそ、仏の教えの第一歩であると説かれるのです。