「お経は歌です」といったら、皆さんは、びっくりするかもしれません。でも、私は、そう信じています。なぜならお経は、人の口から口へと語り伝えられたものだからです。

 

 お釈迦さまは、文字を書いて教えを説かれたのではありません。人々に語りかけることによって、人々の苦しみを救おうとなさったのです。だから、教えを聞いた人々は、何度も何度も、その言葉を口ずさみ、歌を歌うようにしてそれを暗誦したのです。

 

 その証拠には、今も私たちは、木魚や木鉦をたたいて、リズムをとりながらお経を読むじゃありませんか。特に、ご祈祷をする時に読むお経、陀羅尼品は、インドの言葉をそのまま音訳したもの。「アニ・マニ・マネ・ママネ」というリズムからは、いのちの躍動が感じられます。

 

 「唇に歌を、心に太陽を」という言葉もあるように、人類は歌うことによって、夢と希望と生きる力を培ってきたのではないでしょうか。楽しい時には、より楽しくなるように、そして苦しい時にも、決して望みを捨てないようにと歌ったのです。

 

 イギリスの世界に誇る夢の豪華客船タイタニック号が、処女航海にのぞんだのは1912年4月のことでした。多くの歓声に送られて2,200人もの人々を乗せたタイタニック号は出航しました。ところが4月14日未明のこと、あろうことか、タイタニック号は氷山にぶつかり、沈没してしまったのです。船長や乗組員はもとより、乗船していた3分の2以上の人々が船と共に海中に没してしまいました。しかし、奇跡的に675名の人々が救われたといいます。その奇跡を起こした力とは、いったい何だったのでしょうか。

 

 ここに、こんな記録が残されています。

 

 「その時、暗闇の中から、1人の若い女性の声が聞こえた」と。船が沈み、やっとの思いでボートに乗った人や、海に飛び込んだ人も、命は助かったとはいうものの、恐怖から解放されたわけではありませんでした。そんな時、「落ち着きましょう、みなさん。救助船はきっときます。それまで元気に歌いましょう」と呼びかけた女の人がいたのです。そして歌い出されたスコットランド民謡。この声に和するかのように、1つのボートから、また1つのボートへと、歌声の輪は広がり、暗い海の上に人々の歌声が響き渡りました。その間、なんと4時間。やがて夜が明け、人々は救助船に助けられました。だけど、その歌声の主が誰だったのかはついに分からなかったのだそうです。ひょっとしたら、それこそ、天の救いの声だったのかもしれませんね。