スキンシップという言葉が流行った時代がありました。私が、過去形で、そう申し上げたのは、今の時代、そんな言葉を大切にしようという気持ちが希薄になっているような気がしてならないからです。
スキンというのは、肌という意味の英語です。シップは、スポーツマンシップなどで知られる精神という意味。肌と肌の触れあいによって、人には心の交流が出来るということなのですが、出来るだけ他人のことには関わらない方が得と考える人が多い今の世の中です。スキンシップという言葉が忘れられているとしても、それは、当然の現象なのかもしれません。
でも、お釈迦さまは、「この世の中にあるものは、それぞれ繋がりを持って生きている。それを縁という」とお説きになられています。簡単にいえば、「人間は、とても一人で生きられるものではない。それを知るべきだ」ということになりましょうか。そういえば、「世の中がどうなろうと、私には関係ない」というような顔をしながらも、暇さえあれば、ケイタイ電話をかけまくっている人の姿が目に付く現代でもあります。やっぱり、孤独に耐えられないというのが、大半の人の本音ではないでしょうか。
人類学者であるイギリスのダンバー先生がおもしろいことをいっています。世の中のいろんな組織を調査してみると、人間が1つの単位として心を通いあわせることの出来る集団は、100人から200人の間、平均すれば150人くらいが適切で、それ以上では分裂が起こりやすく、それ以下では、その組織は消滅しやすいというのです。
なんとなく納得させられるようなこの学説。ダンバー先生によれば、今では世界中で78億人もいる人類も、今から7万年ほど昔には150人ほどの集団だったのではないだろうかと遺伝子を分析した結果を報告しています。
人類が発生したのは、アフリカだというのが現代の定説ですが、増え続けていった人類は、このくらいの人々の集団を一つの単位として、世界中に散らばっていったのかもしれません。
そう考えた時、ひょっとしたら、お釈迦さまが、一生の間に直接関わることがお出来になった人の数も150人、多く見積もっても200人程度ではなかったのではと推測したくもなりました。
もちろん、その教えは人から人へと広がっていったのでしょうが、その数が150人ほどになると、また新しい歩みを始め、かくして仏教は世界中に広まっていったのだと想像してみると楽しくなります。
それならば、私も、コロナ禍の中ではありますが、この数を基準にお坊さんとしての人々との心の触れあいスキンシップを復活させる活動をしなければと思っているところなのです。