友達の「とも」とは、一緒にという意味です。近頃では「共生」という言葉がよく使われますが、これも共に生きるという意味だと受け止めれば、世の中を見る眼は自ずから変わってくるのではないでしょうか。
今から30年ほど前のことです。私たちお坊さんと、檀信徒の皆さんとで、お釈迦様の国インドを旅したときのことでした。長い時間バスに揺られながら夜になり、とある村のドライブインに到着しました。ドライブインといっても、農家のワラ屋根のような家が一軒あるだけです。同行したガイドが「ここのチャイは美味しいですよ」といいました。チャイとは紅茶のことです。私たちが使う、お茶という言葉も、英語のティも語源は、このチャイにあるのだとか。「へぇ、そうなんでか。ちっとも知らなかった。ヨーロッパも日本もインドも繋がってるんですね」と仲間のお坊さんが感心したようにいいました。そして、「それなら、ぼくがチャイを皆さんにおごります。一緒に飲みましょう」とドライブインの方に出かけました。チャイは紅茶に牛乳をたっぷり入れたミルクティーです。ただなら飲まない手はないと誰もが思ったのでしょう。 ところが半数ほどの人々が、ほどなく「遠慮します」といわんばかりの顔でバスに戻ってきました。一足遅れた私が「どうしてですか」と尋ねると、「あんなに汚いんじゃ飲む気になれませんよ」といったのです。そんなことを気にしていたらインドは理解できないと思った私が現場をにいってみると、お湯を沸かしている燃料は牛のフン、はだか電球に照らしだされた怪しげな雰囲気の中、チャイは汚れたグラスに注がれています。
「なんだ、これくらいたいした事ないじゃないか」と思った私も、そのグラスを洗っているバケツの中を見て驚きました。水の中にはボウフラがたくさん湧いていたのです。私はインド人のガイドに文句をいいました。するとあわてて現場を見に行ったガイドがニコニコしながら帰ってきたのです。そして「みなさん大丈夫・大丈夫。バケツの中のボウフラは生きていました。だから毒は入っていません」といったのです。この答えに、みんなはびっくりしながらも笑い出しました。「そうか仏さまの教えは不殺生戒。人間もボウフラも、共に生かされているんだな」と考えさせられた私は、「さすがはインド。では覚悟してチャイを味わいましょう」といったものだったのです。