十年一昔といいますが、ご法事も25回忌を迎える頃になると人々の記憶は、だいぶ曖昧になって来るようです。昨年のお正月、お屠蘇気分も抜け、今年こそ頑張らなくちゃと気を取り直して、お檀家さんにご回向にお伺いした時のことでした。慌ただしそうにしている奥さんに、「お出掛けですか」と尋ねると、「ええ、今から神戸まで行かなければならないんです」との答えが返って来ました。

 

 「いいですねぇ、観光ですか」と尋ねる私に、奥さんはムッとしたのか、「観光なんかじゃありません。兄の25回忌の法要です」と言ったのです。神戸と25回忌、この2つの言葉から、あなたは、何かを思い出しませんか。

 

 私は、その時、ハッと頭に浮かんだことがありました。「ひょっとして、お兄さんは、あの阪神大震災で亡くなられたのですか」と尋ね直したのです。そうすると奥さんは静かに肯き、「あの時の事を思い出すと、今でもゾ―ッとします」と話しました。

 

 あの時とは、平成7年1月17日、午前5時過ぎに阪神地方を襲った大地震のことです。最も大きな被害を受けたのは、関西の大都市、神戸でした。

 

 建物の崩壊はいうまでもなく、大火災が発生し、6,000人以上もの人が亡くなられたのです。我が国においては、大正12年に起こった関東大震災以来の大地震でした。

 

「いやぁ、ご無礼な事を申しました。どうぞ、お兄さんのご冥福を祈ってあげて下さい」とそのお宅を後にした私は、お寺に戻ると、その頃、切り抜いておいた関連の記事を読み返してみました。

 

 1月17日といえば、寒い冬のまっただ中、家を失った人々の不安に満ちた顔や茫然とした姿が大きく写し出されていました。「本当に、あの時は大変だったんだよな」と思い直した私です。でも、その日の檀家さんの奥さんとのやりとりがなかったら、私の記憶は、もっと曖昧になっていたでしょう。それを証明するかのような話を、1月17日のニュースで、現場の人が話していました。

 

「お陰さまで、神戸の町は立派に復興しました。しかし、あの大震災を知らない世代も多くなっています。震災の怖ろしさを、そして世界中の人々が支援して下さったという事実を伝えていかなければなりません。歴史は、放っておけば風化してしまうのです」と語る言葉に、私は、「その通りだ」と共鳴したのです。

 

 あれだけの大きな天災に遭いながらも、暴動という人災が起こらなかったことによって、外国のメディアは驚き、私たち日本人が培ってきた精神文化の素晴らしさを知ったともいうのですから。