数年前のある日、檀家にお経に伺った時の事です。丁度、御主人が、赤ちゃんのオムツを替えている真っ最中でした。「やあ、関心ですねえ」と声をかけると、「いやあ、我が子となれば、おしっこも大きいほうも、ちっともきたないと思いませんよ」と返事が返って来ました。
そうすると横で奥さんが、「主人ときたら、子どもができる前はまったくの子ども嫌いで、近所の子どもが公園で遊んでいても、見向きもしなかったのですよ、それが今ではこの変わりよう。この前も、ちょっと夜中に熱を出しただけなのに、それ氷枕だ、やれ医者だと大さわぎ。やっぱり自分の子どもって可愛いんですね」
我が子といえば、私はすぐに鬼子母神の話を思い出します。
昔、インドのある村に人の子をさらってきては食べてしまう、鬼子母と呼ばれる恐ろしい女がいました。村の人々はなんとかこの女を退治してほしいと、お釈迦さまに頼みました。
そこでお釈迦さまは、鬼子母が村里に降りた隙をねらって、山の隠れ家に出かけました。ちょうど、そこには彼女の一番末の子が無心に遊んでいたのです。
その子を袖の中にかき抱いて、お釈迦さまは姿を隠されました。村から帰って来た鬼子母は、我が子のいないのに気づき、狂ったように野を越え、山を越え、我が子を探し求めました。
精も根も尽き果て途方にくれた鬼子母の前に静かに立たれたお釈迦さまは諭されます。
「鬼子母よ、お前には、たくさんの子どもがいる。その中のたった一人がいなくなっても、そんなに悲しんでいるではないか、ましてや一人や二人しか子どものない親の悲しみは計りしれないものだ」
この言葉を聞いて、鬼子母はハラハラと涙をながし「私は今、目がさめました。これからは、すべての子どもたちを等しく愛し、守る者になります」とお釈迦様に誓いました。
私も現在では子どもを持つ父親になりました。我が子はほんとにかわいいものです。そのかわり、やたら我が子と他人の子を比較するようにもなりました。
我が子のためには、他人の子はどうなってもかまわないと思った鬼子母のエゴな愛情も自分の心の中にあるようです。
それではいけないとお釈迦さまは説かれるのです、我が子も他人の子も等しく愛せるように心がける事が、これからのわたしの課題といえましょう。