新型コロナウイルスの感染が止まりません。休校やイベント中止・マスクの転売・トイレットペーパーの争奪等々、市民生活にいろんな障害が出始めています。わたしたちは、見えないウイルスに怯え、この先「どうなるのか」との不安に駆られながら毎日を過ごしているのではないでしょうか。今まで当たり前だったと思っていた、自由な暮らしや生活の仕組みが、日を追うごとに出来なくなっていくという現実に、みんな疲れきっています。感染の恐怖からか、周りの人に疑いや、苛立ちを覚えたりと、ストレスも積もるばかりです。
私も、住職として、大勢の人と接します。皆さん決まって最初は新型コロナウイルスの話題から始まります。心配なんですよね。
そんな折、ふと境内に目を向けると、そこは春真っ盛り、桜の花をはじめ色とりどりの花が満開です。世界中の混乱を横目に、いつもと変わらず、今年もたくさんの花が咲いています。まるで疲れ果てた私たちの心を癒やすかのように咲いているのです。気のせいか、例年に比べると、今年は見学者も多く、皆さん、自然の営みから、安らぎや希望を受けようとしているのかもしれません。私も、ちょっぴり前向きになってきました。
今回の出来事は、宗教者は何をすべきなのか、行動を問われているような気がします。感染拡大が早く収まることを願い、あわせて亡くなられた方々のご冥福を祈りながら、滝に打たれ、お経を読む日々を送っています。ただただ、仏の大いなる慈悲の心と、人間の知恵で一日も早い平穏な生活が戻ることを祈るばかりです。
最後に新聞記事で目にとまった、パスカルの著した「パンセ」の言葉を紹介して終わりにしたいと思います。「人間は1本の葦にすぎない。自然のうちで最もか弱いもの、しかしそれは考える葦だ。人間を押しつぶすのに宇宙全体が武装する必要はない。1吹きの蒸気、1滴の水だけで人間を殺すのに十分だ。しかし宇宙に押しつぶされようとも、人間は自分を殺すものよりさらに貴い。人間は自分が死ぬこと、宇宙が自分より優位にあることを知っているのだから。宇宙はそんなことは何も知らない。」