シルヴァスタインという人が書いた、「大きな木」という童話をご存知でしょうか。世界中でベストセラーとなった作品ですが、私は、ある日、ふとこの童話のことを思い出したのです。それというのは、檀家さんのご法事の後、その家のご主人から、「人間の本当の幸せって、いったい何なのでしょうか」という質問を受けたからです。
ご主人といっても、私よりは、ずっと若い人。その日のご法事は、亡くなられたお父さんの三回忌でした。お父さんは、一代で大きな財産を築き上げた人。その後を継いでいるご主人も、仕事は順調で、なんの心配もないはずなのにと思っていた私にとって、それは意外な質問でした。正直に申し上げれば、「この人は、これ以上の幸せって、何を求めているのだろうか」と戸惑いを覚えたのです。
そこで、その日は、「いずれ、日を改めてお答えしましょう」とお茶を濁したのですが、後日、昔読んだ童話、この「大きな木」の話が頭に浮かんだ時、その答えの糸口が見つかったような気になったのです。
糸口というのは、この童話の主人公とでもいえる大きなリンゴの木の生き方にありました。このリンゴの木を父親のように慕ってやって来る一人の貧しい男の子がいました。この男の子が、「ぼく、お金が欲しいな」と呟いた時には、「それなら、これを町に持っていって売ればいい」といわんばかりに、リンゴの実を下ろしてあげました。そして男の子が成長し、「そろそろ家を持ちたいな」と呟いた時にも、リンゴの木は、「これを使いなよ」といわんばかりに、枝を目の前に示し、男の子が、もっと遠くへ行ってみたいと呟いた時には、「それなら、わしのこの木の幹を使って、船を造ればいい」と全身を投げ出したのです。
そして、さしも大きかったリンゴの木も、いつの間にか切り株しか残っていないようになってしまいました。
そこへ、年をとり、身ひとつで、帰って来た男の子。「ぼくの一生って、いろんな事があったけど」と切り株に腰をかけ溜め息をついた時、「ごめんな、わしには、お前にしてあげられるものが、もう何もないんだよ」というリンゴの木の声を聞いたのでした。
その時、切り株から伝わって来たぬくもりが、年老いた男の子の全身を包んだのです。「もう、どこにもいかない。ここが、ぼくの本当の心の故郷だ」といって、切り株を抱きしめたというこの話。
「そうだ、今度、ご主人に会った時には、亡くなったお父さんは、このリンゴの木のような人だったんだよと話してあげよう。そうすれば、本当の幸せの答えはご主人自身で見つけられるのではないだろうか」と、今、私は考えているところなのです。